4.「私とBC」<2016年09月28日>
JUKI株式会社 品質統括部長 光藤 義郎
私が初めてBCと出会ったのは確か1975年の9月。10月から始まる第51回BCコースの書記として、その説明会に参加した時からだったと記憶しています。当時、私は早稲田大学の池澤辰夫研究室で卒論に取り組んでいる真最中で、書記と卒論とを同時並行でこなす苦難の半年を過ごしました。書記担当ではない講義の時など、最後列で卒論の内職に只々没頭していたことを思い出します。
● 班別研究会
書記が終わると同時に班別研究会の班別講師として参加。途中、海外駐在で3年半ほど空白期間がありましたが、今日まで班別研究会への参加はずっと続けています。その最大の理由は異業種交流としての価値にあります。ザッと32年の間、私が担当した事例だけでも200件以上、総合討論等で関与した事例で言えば実に700件以上となり、これだけ多くの生の事例に接するのはこの班別研究会をおいて他にはないでしょう。正に異業種交流の場として、私にとってこの班別研究会は大変有意義なものとなっています。
● 宿題問題検討会
大学時代でのBCの思い出は何といっても宿題問題検討会でしょうか。当時のBCでは毎月5~6問の問題を出していたので1コース換算では約30問。問題作成に要する労力は相当なものでした。一人で2~3問を担当し、コースが始まる数ヶ月前に宿題問題を検討するためだけに泊り掛けの合宿を箱根や熱海で行っていました。私の場合、どうせ作るなら問題は常に新しいもの/面白いものをということで会話調の問題を作ったり、お菓子作りの場面設定で実験計画の問題を作ったりしましたが、大体一発でOKが出ることは殆ど無く、何度も修正させられた記憶があります。しかし、厳しい検討の終わった後は温泉に入ったりお酒を飲んだりと、それはそれで楽しい思い出が一杯です。
● 講義
当時のBCは二人講師制という制度を敷いていて若手の講師が講義する際は必ずベテランの先生がその指導をしていました。私が最初に講義を受け持ったのは確か分散分析で、その主担当講師は立教大学の小林龍一先生でした。講義が終わると、先生から色々とサジェスションを頂き、次回以降の講義に反映するということを繰り返しました。その後、幾つかのコマを担当しましたが、最近は業務多忙のためお休みさせて貰っています。
● 演習/司会
宿題委員をやっていた頃はよく金曜日の演習にも参加しましたが、何といっても司会を担当する時が一番楽しかったように思います。演習に参加する講師の方々はそれぞれ一家言の持主が多く、理論的背景は元より長い実践経験に裏打ちされた確固たる思想も持っておられたので、それらを敢えて戦わせるように話を誘導していくと、演習が大変盛り上がったものでした。このような講師同士の議論を
演習の場でやるのは如何なものかという批判もありましたが、議論を通じて統計的方法や品質管理の本質がとてもよく見えてくるので、受講生に対する教育的効果としては大変良かったと私自身は思っています。
● 幹事会/講師会/親睦会
BCは大変長い歴史を持っているので、これを運営する組織体制もかなりガッチリしています。中でも幹事会/講師会/親睦会といったBC講師を中心とした集まりはその機能の発揮は勿論のこと講師間のコミュニケーションという意味においても大変有効でした。最近はなくなってしまいましたが、箱根や河口湖といった静かな場所で開かれた一泊二日の幹事会/講師会は数多くの楽しい思い出を生み出しました。
● YRG(ヤングリサーチグループ)
20年以上も前の話になりますが、若手班別指導講師の育成を目的として、YRG(Young Research Group)という活動を安藤之裕氏(現QCコンサルタント)発案の元、何人かの有志とともに立ち上げました。若手の班別講師に班別での指導内容を再現してもらい、全員で指導方法のスタディを行うというものでした。終わった後、皆で近くの飲み屋に行き、討論の続きを行うのも楽しみの一つでしたが、若手講師が少なくなったこともあって3年程で休会となってしまったのは残念です。
● BCに望むもの
世界にも類を見ない品質管理教育コースとして、このBCはその歴史の長さや輩出したOBの数など、日本の産業にとって非常に価値の高いかつ貴重な財産と言えます。歴史にIfはありませんが、もしこのBCが存在しなかったら、戦後日本の産業は恐らくこれほどの発展を遂げることはなかったのではと思えるほどです。そしてこの話は決して過去のみの話ではなく、今現在も続いており、また今後もずっと続いていかなければならないことだと確信しています。そのためにはBCに関わる全ての人々、またBCを卒業していった全てのOBが、この思いを共有し、BCを中核とした日本の品質管理を充実/発展させ、それによって日本の産業や世界の平和、そして人類の幸福につなげていかなければならないと思っています。